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謎解き(捏造編) [ 難波紘二 ] 2001/01/26 16:02 No.523
Re: 謎解き(捏造編) [ トラ ] 2001/01/26 16:14 No.525
Re: 謎解き(捏造編) [ トンビ ] 2001/01/26 19:03 No.532
Re: 謎解き(捏造編) [ 難波紘二 ] 2001/01/26 23:19 No.542
Re: 謎解き(捏造編) [ 小学生 ] 2001/01/27 03:44 No.554
Re: 謎解き(捏造編) [ 難波紘二 ] 2001/01/27 09:51 No.556
Re: 謎解き(捏造編) [ 難波紘二 ] 2001/01/27 14:47 No.563
Re: つぶやき [ 鈍公 ] 2001/01/27 16:24 No.565

[523] 謎解き(捏造編)
投稿者名: 難波紘二
投稿日時: 2001年1月26日 16時02分
トラさんにお答えします。
昨年の11月7日、「青森掲示板」での最初の発言【187】で私はこう述べました。
「 歴史的には英国で起こった「ピルトダウン人」事件に匹敵、いやそれ以上の世界考古学史上に残る大事件でしょう。ピルトダウンの場合は、犯人は未だに確定できていませんからね。日本考古学もやるもんです。

この藤森新一という男がかかわった発掘は、たぶん全部インチキですね。81年に宮城県の岩出山町で「ザザラギ遺跡」から「国内最古」の「4万数千年前」の石器を発見して、一躍名前を知られるようになった。当時30歳で、遺跡発掘を始めて9年目。これが「本物」であるとして、「日本旧石器時代」が成り立っている。
83年には、宮城県「馬場檀A遺跡」で、17万年前の石器をやはり発見している。この功績で学歴のない藤森は、「日本考古学協会」の会員になれた。この石器が「本物」であるとして、「前期旧石器時代の存在」が成り立っている。」
「 世界的には世界最古の埋葬遺跡は、イランのシャニダール遺跡(9万年前)とされており、それは旧人のネアンデルタールの末期と一致する。それより前の35万年前の原人が死者の埋葬を行い、死後の観念をもっていたとすれば、大発見に違いないが、それは今回のねつ造暴露で、完全に崩れたと思う。さらに最近かまびすしい日本の土器の作成年代が、国際的常識をはるかにうち破って、数万年前にさかのぼるという「発見」も、「地層学」に依拠したものであり全面的再検討が必要になると思う。「縄文は東日本が優越していて、豊かだった」という説も、東北大考古学につながる連中が唱えたことで、疑ってみる必要がありはしないか。」
「結局、日本の考古学は科学以前の段階にあった、ということでしょう。ドイツの学者も同じことを述べています。似たような事件は、40年くらい前に東北大学の医学部で、「ペルオキシダーゼ中枢」事件、というのが起こっています。これもねつ造で、弟子が師匠におもねった。東北にはそういう体質があるのかな。」
この発言は考古学関係者の猛反発をあびましたが、今振り返ってもちっとも間違っていない。
しかし言った以上は立証責任があります。
そこで「全体が虚構であるから、どこかとっかかりを見つければ、全体を崩すことができるはずだ」と考えました。
手始めにこちらにもなじみがある医学・生物学がからむ「旧石器の脂肪酸分析、免疫学的検査」から調べ始めました。
まもなく文献調査から、中野益男がおこなった「馬場壇A遺跡」の「旧石器に付着したナウマン象の脂肪酸」なるものは、原著論文がなく、学会発表だけから構成されており、書くたびに数値が変わり、しかも「常温で液体であるはず」のある脂肪酸が石器表面から検出されるなど、ありえない話が報告されており、「ねつ造」であると確信しました。
これで1984年発見の「馬場壇A」の信憑性を支える重要な一角が崩れました。「すべてがインチキ」という主張の一部は立証されました。膨大な遺跡と出土物をひとつずつ検証するよりも、「嘘であれば、どこかに事実との食い違いが見られる」という公理を利用して、藤村の初期の行動をチェックするのが一番なのです。
ことしになって有力な資料を入手しました。ひとつは、河合信和の「最古の日本人を求めて」です。これには「名人」藤村新一が世に出るまでの経過が克明に記載してありました。ただし職場、家庭、高校、少年時代のことはまったくといってよいほど書いてありません。
この記載から、藤村は1972年11月に古川市の博物展にはじめて姿をあらわし、館員の藤沼邦彦から石器の手ほどきをうけ、それから石器探しをはじめたということになっている。しかし一方で72年の夏に芹沢長介の「石器時代の日本」という本を昼休みに読んでいるところをパートのおばさん(佐々木和博の母)に話しかけられ、秋に佐々木の家をたずねている。
そして彼の電話紹介により、74年の4月初めに藤村は「集めた石器を全部もって」、多賀城市に鎌田俊昭を訪ねている。「その大部分は縄文石器であったが、2点だけ旧石器らしいのがあった」この時の鑑定には藤沼邦彦も立ち会っており、河合の取材は3人の証言をもとに書かれている。
ところが別な箇所で、このときまでに藤村が発見していた旧石器は3個であると書かれている。
第一は、73年7月座散乱木で発見した「石刃」。
第二は、73年8月15日午前、新田遺跡の道ばたで表面採取した「黒曜石性の彫刻刀型石器」
第三は、後の「三太郎山B」遺跡の火山灰のなかから発掘した「石器」(具体的形状不明)
「これを本当に火山灰のなかから発見したのか?」という鎌田の問に、「そうです」と藤村は答えているから、第三の石器が鑑定時にあったことは間違いない。
するとなかったのは、第一か第二の石器である。

ところが岡村が書いた「旧石器時代の東北」(1981)には、このとき鎌田が鑑定した旧石器は新田(第二)、村山、三太郎山B(第三)の三つと書かれていて、数と採取場所が合わない。
どちらかの記載が間違っている。
この謎を解くカギは、藤村所持の彼が「教科書」と呼ぶ「談話会」勉強会資料の仮綴じ本のなかにあった。この資料は76.9.11までをカバーしており、岡村の本よりも古い。(藤村メモは、75年7月以前に書かれたものである)
この4ページ目に藤村が発見された石器の追加を手書きで記入している。
上にあげた場所のうち、ここに書かれているのは「三太郎山B」(第三)、「座散乱木」(第一)のみで、「村山」も「新田」(第二)もない。おそらく「新田」は石器の形状記載から見て、のちに「旧石器でない」として退けられた可能性がつよい。
「座散乱木」(第一)があったことは、藤村の河合への証言と藤村メモからはっきりしている。しかしこれは鎌田鑑定の際にはなかった。あれば岡村記述に出てくるはずである。
鑑定のさいにあったのは、「新田」(第二)と「三太郎山B」(第三)の2個であった。
では「座散乱木」(第一)はどこにあったのか?それは藤村が手元にもっていた。
4月29日(天皇誕生日)に鎌田から石器の出る場所への案内を求められた藤村は、前の日にそこに所持した石器を埋めておき、翌日そこに鎌田を案内して掘らせた。
「鎌田が農道の切り通し断面の火山灰層に移植ゴテをいれると、カチッと音がして、「石刃」が出てきた。
『バンザーイって感じでした。だってやっと自分の手で旧石器を掘り出したのですからね』、と鎌田はその時の感激を語っている。」(河合p28)
つまり藤村は初めから鎌田俊昭に、「石器を掘らせるのが目的で」接近したのである。
これが藤村の遺跡ねつ造のそもそもの初めである。
次は藤村の行動の意味を解読する。

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[525] Re: 謎解き(捏造編)
投稿者名: トラ
投稿日時: 2001年1月26日 16時14分
難波先生。謎解き(動機編)期待してます。


トンビさん。ハンドルネームを交換しましょうか。

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[532] Re: 謎解き(捏造編)
投稿者名: トンビ
投稿日時: 2001年1月26日 19時03分
私もこの謎解き、大変に期待しています。

「ト」で始まらないハンドルネームに変えるかなあ。。。

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[542] Re: 謎解き(捏造編)
投稿者名: 難波紘二
投稿日時: 2001年1月26日 23時19分
> 「ト」で始まらないハンドルネームに変えるかなあ。。。
 これはですね。トンビに応えようと思って書き始めたとたん、トラからメールが来て、言ってる内容が似ていたもので、読んだとたんに、混同してしまっただけのことです。
旅人2号さんにからかわれたので、注意はしていたのですが、運が悪かった。
 まあ、似たような名前で似たようなことを言う方にも責任がありますがね。

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[554] Re: 謎解き(捏造編)
投稿者名: 小学生
投稿日時: 2001年1月27日 03時44分
>4月29日(天皇誕生日)に鎌田から石器の出る場所への案内を求められた藤村は、前の日にそこに所持した石器を埋めておき、翌日そこに鎌田を案内して掘らせた。

 鎌田さんに掘らせたっていう石器が、本当にその遺跡の、その地層から藤村さんが見つけておいた石器だったら、それもねつ造になるのかな? 藤村さんって人が、ほんとうに赤土から石器をみつける名人で、人を喜ばせたいためにもとの場所に埋めておいたんじゃないかな。
 人が喜んでるのって、なんだか見てるとうれしいよ。藤村さんってなんだかすごくいい人みたいだから、そういう、人を喜ばせるための「いたずら」をよくやっていたのかもしれないじゃない?
 こんなこと証明しろって言われても小学生にはできないけどさ。
 でもねー潮干狩りの貝じゃないんだからね〜。あれもねつ造っていうのかなぁ?

 あとね、藤森じゃなくて藤村、馬場檀じゃなくて馬場壇だよー。
 難波のおじちゃん、何度言ったら分かるの〜(ーー;)
 でもおじちゃんすごいよね。名探偵コナンみたい。どうしてそんなにいろんなことしらべられるの〜?

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[556] Re: 謎解き(捏造編)
投稿者名: 難波紘二
投稿日時: 2001年1月27日 09時51分
小学生さん:
>  鎌田さんに掘らせたっていう石器が、本当にその遺跡の、その地層から藤村さんが見つけておいた石器だったら、それもねつ造になるのかな? 
 これは大変よい指摘です。
 「座散乱木であらかじめ拾っていた石刃を、埋め戻して鎌田に掘らせた」
 これは多分、潮干狩りとか松茸狩りでは普通おこなわれていることで、藤村にも抵抗感なく行えた。
「鎌田さんに喜んでもらえれば」という気持ちがそれを正当化したのでしょう。

 だが、実はこれが26年にもおよぶ巨大な「捏造事件」がはじまる、小さな第一歩だったのだと、思います。

>  あとね、藤森じゃなくて藤村、馬場檀じゃなくて馬場壇だよー。
>  難波のおじちゃん、何度言ったら分かるの〜(ーー;)
一気に書いてあまり推敲しないから、こういうことがおこる。年のせいもあるけれど。
小学生の脳味噌がうらやましい。

>  でもおじちゃんすごいよね。名探偵コナンみたい。どうしてそんなにいろんなことしらべられるの〜?
 図書館とインターネットと古本屋のおかげですね。ゴーグルという検索エンジンは重宝でした。
 それと真相を見抜くには、科学的論理だけに依拠し、感情は捨てることです。
 感情的な部分は私の代わりに「旅人2号」さんが、代弁してくれたので助かりましたよ。
 彼はまた旅に出たようですが、お会いして御礼を言いたいな。
 

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[563] Re: 謎解き(捏造編)
投稿者名: 難波紘二
投稿日時: 2001年1月27日 14時47分
言い忘れました。
>  「座散乱木であらかじめ拾っていた石刃を、埋め戻して鎌田に掘らせた」
>  これは多分、潮干狩りとか松茸狩りでは普通おこなわれていることで、藤村にも抵抗感なく行えた。
> 「鎌田さんに喜んでもらえれば」という気持ちがそれを正当化したのでしょう。
 このとき藤村が埋めた地層は、本来前期旧石器がでる地層でなかった。
 だからこの「座散乱木石刃」は鎌田や岡村の書いたものからは、姿を消しているのです。
 また後の「座散乱木発掘」の際の場所が、ここと違っているのも、そのためです。

 74年4月の時点では、藤村には地層に関する知識がまったくなかった。
 それがつくのは75年5月に「談話会」ができ、勉強会が始まってからです。
 藤村の「教科書」には一生懸命に勉強した跡が残されています。

 結局、「談話会」の勉強会は意図はまじめだったけれど、藤村に次に石器がでるべき地層と場所について、絶えず「暗示」をかける役割を果たした。
 藤村の善意のトリックに、今度は鎌田や岡村がひっかかり「催眠状態」になった。
 だから事件は本質的にはカルト教団のそれと同じものです。
 戦後の日本人の精神状態を象徴するような事件です。

 

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[565] Re: つぶやき
投稿者名: 鈍公
投稿日時: 2001年1月27日 16時24分
根拠なき空想の世界に、難波先生もとらわれてしまったのか。
まあ、どこまで行くのか、見てみるとしよう。

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